戦前で最大級の道路用トラス橋。60m弱のスパンで17連、1000mを越える長大橋
水色のトラスは明るいがいまひとつ歴史の重みを感じさせない。島田側から見たときに牧ノ原の緑の中にあって映える、という面はあるのだけれど、ちょっと子供っぽい色彩感覚のような気もする。ここはひとつ濃いグレーかなんかで鉄の重厚さを出すと渋いんじゃないかと思ったりするのだが。
橋を歩いて渡るときにいつも思うのだが、車と徒歩では双方に固有の体験のあり方があるのだなと思えてくる。
車でこの鉄骨の林の中を疾走していくのも一つの爽快感である。緩やかにカーブを描くトラス群をくぐっていくとき、そこには反復されるリズム感がある。桁のつなぎ目がガタンガタンというのも、昔の鉄道のレールの音にも似て心地よい。全ては車が前方に、人より遙かに高速に動くが故の体験。そういう意味では「橋」というものは高架橋の延長であってはならない。シークエンスを持った長いゲートとして、地理的、都市的なランドマークであって欲しいと思う。
一方、徒歩の体験は、スピードからは離れ、場に応じたものになっている。即ち、橋という架構物の特性と深い関係がある。河川敷や川面よりも数m高いところにあり、私達は上から地面を見下ろすことができる。また周辺には視界を遮るものはない。パノラマの景色が広がる。そして前にも後ろにも道は一つ。直線的にパースのかかった道路景がパノラマの中に存在する。歩くときの橋の楽しさは、キョロキョロすること。途中で立ち止まって下を見たり、遠くを眺めたり。その意味でアルコーヴのある橋は面白い。でもここで見て下さいねー、というデザインの押し付けはキライな自分にも気付かされる。どうすれば自然に楽しめるのかな?こういう場合・・・。